ドイツでの大学院生活も修士課程修了まで残すところほぼ修論のみ、というところまでやってきた。しかし、家庭の事情(ワンオペ育児予定)で現在修論執筆の遂行に暗雲が立ち込めている。海外大学院留学で学位を取れないとなると普通なら失敗と思われるかもしれないが、もしダメだった時に落ち込まないように学位以外で得たものをちょっと考えてみる。いや、真面目な話、結構あったんじゃないかと思う。
まず何より、初めての海外生活、そしてコロナ禍、と過ごす中で大学院に通っていたことが精神的な安定をもたらしたことがとてつも無く大きい。僕は妻の海外赴任の帯同が渡独の直接的な理由だったので、もし大学院に入学していなくてもドイツには来ていた。しかし、その場合どうやって過ごしていただろうと思う。駐妻界隈でたまに聞くアイデンティティクライシス的なものになっていたかもしれない。(根がズボラなので、そんな真面目に悩まずにヒモ生活を謳歌したかも笑)また、家庭と大学院と2つのコミュニティを持つことが出来たことも重要だったと思う。コースの同級生はみんな仲間だ。留学生向けのコースだったので同級生は全員外国人。最初にドイツ生活の愚痴を言い合えばすぐ仲良くなれた笑。初めての海外生活の初期やコロナ禍の辛い時期を乗り越えるにあたって、コースの仲間たちは家族と同じくらいの役割を果たしたと思っている。
コースは同級生が全員外国人で自分が唯一の日本人という環境で、それはたまたまだったけど、ドイツにて期せずして多様な異文化交流も経験したというのも挙げられるだろう。ちなみに半分以上がインド人だったのでかなり偏りはある。(しかしこの偏りのおかげで、インド人も一括りにはできず州によっては異国レベルの違いがあるという気づきを得たのも確かである。ちなみに昨今の感覚としてはカーストの違いよりも州(宗教)の違いの方が大きいらしい。)
入学したコースは英語開講のコースでもあったので、英語の運用能力もグッと上がったと思う。そして英語を使うことに抵抗は無くなった。今更ながら、英語って言語なんだと当たり前のことを実感。最初は英語でのチャットも一苦労だったのが懐かしい。(実は入学するまで英語でチャットしたことなかったんよ…)
英語開講が故にドイツ語はしばらくはちびちびとしか勉強できなかったが、必修のインターンシップのために、B2の資格(Goethe)を取り、就活の書類作成や面接もドイツ語でこなし、3ヶ月間だけではあるがドイツの会社で働いたことで、ドイツ語でのコミュニケーションも抵抗が無くなった。正直まだまだひどいカタコトで、インターンではなく正規雇用で通用するレベルではないとは思うのだけど、まあそれはこれからの課題ということで。
つらつらと書いてみたけど、こんなものだろうか。大学院での学業的な意味での「学び」については、やはり学位がないと説得力に欠けるので挙げられない。学(位)歴社会のドイツでもあるので、学位取得を諦めず、もうちょっと追求してみようと思う。
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