内容はタイトルから想像できる通りですが、英語に限らず外国語教育全般について書かれています。メインは日本軍の諸学校での語学教育の変遷についてですが、戦時の派兵先での現地語の下士官、兵への教育内容なんかにも触れられています。
一番のハイライトは、旧陸軍の出世した幹部達はほとんどが幼年学校時代から第一外国語としてドイツ語を(現代の感覚からすると、英語の「代わり」に)学んでおり、旧制中学出身者を中心とした英語学習者の幹部は冷遇されていた、というところでしょうか。第一外国語としてドイツ語を学んで、将来的にはドイツに留学することが陸軍における出世コースとなっていたといいます。結果としてドイツを通して世界を見てきた旧陸軍のエリートが日本の意思決定層の小さくない割合を占めることになりました。どの外国語がより重要かという「序列」はいつの時代でもどの組織でも当然あるものかと思いますが、そもそも旧陸軍でドイツ語が重視されたのは明治初期にプロイセン王国の軍制を範として整備が進められたという軍事技術上の理由だったことを考えると、それが後に国家運営方針に影響を与えてしまったかもしれないというのは歴史の因果として大変興味深いです。
さて、戦前日本において最大の組織の陸軍で「ドイツ語閥」が形成されていたという事実は、日本における現在のドイツ語のプレゼンスを考えると、そんな時代もあったんだなぁと単純に感心してしまいました。現代は英語が世界の共通語としての地位を確立してから久しく、とりわけ日本では外国語といえば英語であり、「英語ができる=グローバル」という風潮があると思います。しかし、ドイツに来て思ったのは、英語だけで世界の全てを知ることはできないということ。当然と言えば当然ですが、現地の言葉を使ってこそ現地のことをより深く理解できますし、英語で出てこない情報もたくさんあります。世界の共通語としての英語の有用性を今更否定することはできませんが、英語だけをありがたがる風潮は旧陸軍の「ドイツ語閥」と同じ危うさを含んでいるのではないか、と思った次第です。